OneStep日記

そこに「芽がある」ということ

出海(izumi)

新年が明けて2日目!2024年1月2日です、こんにちは。今日の担当は出海(いずみ)です。
年末年始にOneStepメンバーでメディアを毎日更新しよう!というイベントが立ち上がったので、軽率に手を挙げました。
今回は個人的に昔から愛着のある絵文字「🌱」がキーワードにあるので、これをテーマに書いてみます。

毎日更新が始まってから、担当メンバーの記事を読んでは感想を伝えつつ、冒頭部分から記事を少し書き進めていました。ところが昨日、改めて下書きを開いたら、なんだかしっくり来ない。

思い切って、一旦全部消しました。

出海が担当する本日、1月2日のお昼過ぎ現在。
私が「いま書こうと思ったこと」について、文章が伸びゆくままに任せ、書き終わったら公開しようと思います。


そこに「芽がある」って、どんな意味があるだろうか。

種があった、ということ。
種が成長した、ということ。

種を植えた、ということ。
種が運ばれてきた、ということ。
種をもらった、ということ。

これから成長する種がある、ということ。
これから芽が出てくる準備がされている、ということ。
では、手を掛ける必要がある、ということ?
いや、手を掛けずとも自然に出てくる芽もあるだろう。

地面が掘り返されて埋まっていた種から出てくる芽もあれば、
水や風に流された種がたどり着いた先で出る芽もある。
長年ずっと木陰だった場所に、ひょんなことから日が差して出る芽もあれば、
日陰だろうが気にせず出てくる芽だってある。

では、芽が出るのは種からだけ?
いや、冬芽からだって芽は出るし、幹からだって、新しい芽が出たりする。
葉の切り口から、次の芽が出てくるような植物もいる。

傷がついて、それを治そうとするとき、そこから芽が出たりもする。

芽が成長して花が咲き、種ができ、それが散らばり、また芽が出る。
それだけではなく。
成長の途中で傷ついたとしても、それが折れてしまったとしても。
ときには傷口、はたまた無事に残った部分から、また次の芽が出たりする。

たとえ、芽が出ずとも。
土に混ざり、水に混ざり、ときには風に飛ばされ、
またどこかの植物に取り込まれて、また次の芽となるだろう。


そこに「芽がある」ということ。
「芽」という形で、そこに現れている、存在している、ということ。
それは今まさに成長してきたのかもしれないし、
実は芽吹いていた、ということに、今やっと気づいたのかもしれない。

どこから来て、どこに行くのか。
いつからあって、いつまであるのか。

今の私たちにはわからずとも、それらはどこかで繋がっていくのだろう。

あらゆるものが巡り巡って、形を成し、また散らばって巡りゆく。
そのようにして、全てが繋がっているのかもしれない。

そうすると、自分が見るもの経験するもの、全てのことがほんの少しでも繋がって、
何か意味を為したように思えたとき、そこに「芽がある」のかもしれません。

出海

ABOUT ME
出海(izumi)
出海(izumi)
大学で期限付き雇用の博士研究員をしています。何とかアカデミアにしがみついていくぞ。新緑の瑞々しい葉っぱ、うっすらと雲がかかった月や月虹環、ゆったり弾む雨音が好き。ピアノ曲は変奏曲を好む傾向があります。卵の半熟具合には強めのこだわりがある、かも。
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