「任意参加のイベントに初めて手を上げる」のは、なんとも勇気がいる
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こんにちは、チャイフ(@chaif123)です。
先日、会社の有志開催のフットサルに参加したんですけど、そこで「行きます」をSlackで送信するときに、エッジを感じたので、これはOneStepだなぁと思ったわけです。せっかくなので、その前後での心の動きをつらつらと書いてみようと思います。
ちなみに「エッジ」とはプロセスワークというアメリカの心理学の専門用語だそうで、「何かしらの変化を迫られたとき、心の中に生まれる抵抗感」のような意味です。
心理的『エッジ』から紐解く変化の背景。なぜ人は変わり、変わらないのか?
「初めてやること」は自分にとっての当たり前じゃないこと、と言える
本コミュニティのタイトルでもありテーマでもある、OneStep。一歩を踏み出す。
人によって何が「一歩」たりうるかは人それぞれだなぁ、と思いますが、ただ当たり前に歩いているだけじゃなくて「踏み出す」というニュアンスがあるということは、それが当たり前ではないということだと思います。
当たり前ではない。自分にとって当たり前ではない。「初めてやること」はこれに該当しますよね。
任意参加ということは、手を引いてもらえないということ
日々生活をする中で、「自分で決めたい」場合と、「相手に決めてほしい」場合が両方あると思います。
自分で決めるってことは、自由がある一方で、責任も伴います。相手に決めてもらうってことは、不自由である一方で、責任が軽くなります。
「会社の有志開催のフットサルに参加する」って、初めての時点でエッジがあるのに、完全任意参加なので、全部自分が決めなくちゃならんのですよね。かといって強制参加だったら僕は「は?(キレ」ってなっちゃいますけど、自分が手を挙げるっていうのもそれはそれでエッジを感じちゃったわけです。
それの正体が責任か?というと、たかがフットサルで大袈裟だとは思いますが、「行くからには…」みたいなことをどうしても考えてしまうのです。
自分の心の声に耳を傾ける
まぁ完全に興味がないなら行かんけりゃいいだけの話なんですけど、僕の中に「ちょっと気になる」「1回くらい行ってみたい」ってのがあったんですね。
モチベーションは同僚との交流でした。
フットサルっていう競技自体に対してはかなり苦手意識があり、むしろやりたくないです。「初心者大歓迎ですよ!」と言われていましたが、あっちが気にしなくてもこっちが気にするわけです。スポーツにおいて、ことチームスポーツにおいて、「ぜんぜん上手くプレーできない」はすぐ「迷惑をかけてしまっている」という思考に切り替わり、ストレスになりますからね。それを「マジで気にしない」メンタルを携えていかなければいけないのです。(神経質)
エッジを乗り越えて、心の向くままに時間を使っていこう
まぁグダグダ話しましたけど、今回の件に限らず、「エッジを感じた」という心の動きには目を向けていきたい僕であります。
- 行くのがデフォルトになってきているものにNOというのも勇気が必要
- 行かないのがデフォルトのものにYESというのも勇気が必要
当たり前のことですが、こういうことです。
「どっちがいいか(正解か)」なんてのは、存在しない、ですよね。自分が決めるのです。そして、自分が納得のいくほう、後悔しない選択をし続けていけたらいいですねって話です。
それでは。
チャイフ