無音のカフェで「BGM、かかってないですよ」と言いに行った、小さくて大きなOneStep
こんにちは、チャイフ(@chaif_123)です。
みなさん、日々の生活の中で「あ、これちょっと違うな」とか「こうした方がいいんじゃないかな」と気づきつつも、なんとなくスルーしてしまっていることってありませんか?
僕はよくありますし、たぶん無意識で気付けていないものも含めると山ほどありそうです。
stand.fmのラジオ(OneStepRadio)でもお話ししたのですが、今回お話しするのはある休日のカフェでの出来事です。僕にとっては、自分の「コンフォートゾーン」をわずかに踏み出し、自分という人間の性質を再発見して向き合うことになった、大切な「OneStep」でした。
それでは!
静寂に包まれたカフェ。7時間の空白に気づいてしまった
僕はよくカフェで作業をします。平日なら仕事前の朝イチに、休日なら昼過ぎに、お気に入りの場所でMacBookを開くのがちょっとしたルーティンになっています。
その日は休日でした。昼過ぎ、14:00頃だったと思います。近所のカフェに入り、いつものように注文を済ませて席に座りました。コーヒーが運ばれてきて、「さて、ブログでも書くか」と集中モードに入ろうとしたその時、ふとある異変に気づいたんです。

……店内BGMが、かかっていないぞ?
そのカフェは、いつもならゆったりとしたジャズが流れています。決してうるさすぎることはなく、周りのお客さんの会話をほどよく紛らわせてくれる、居心地の良い空間を演出する音量で流れているのが「正しい姿」でした。
しかし、その時は不自然なほどの静寂。聞こえるのは食器が触れ合う音と、話し声だけでした。
明らかに違和感がある。
僕は考えました。そのカフェは朝の7:00に開店しています。今は14:00。「もしや開店から7時間、ずっと無音で営業していたのでは……?」と思い至りました。あらまぁ…。
もちろん、BGMがなくても営業はできます。クリティカルな問題ではないでしょう。でも、お店としてはBGMを流してより良い空間を提供しようとしているはずであり、今の状態は本来意図している姿ではないのは間違いありません。
周りを見渡してみましたが、他のお客さんは気づいているのかいないのか、特に気にする素振りもなく過ごしています。スタッフの方々はかなり忙しそうで、フロア全体に気を配る余裕はなさそうでした。というか、スタッフが気づいていたら、とっくに何らかの対応をしているはずです。
僕は迷いました。
「わざわざ言いに行くのも、なんだか恥ずかしいな…」
「忙しそうだし、邪魔しちゃ悪いかな…」
「でも、せっかくの空間がもったいないよな…」
ふむ…。
🤔
数分間、葛藤が続きました。
勇気を振り絞ったレジまでの10メートル
結局、僕は「言った方がいいよね、これ」と結論を出しました。
コーヒーを一口飲み、少しだけ背筋を伸ばして、勇気を出してレジまで歩いて行きました。このレジまでの数メートルの距離が、当時の僕には妙に長く感じられました。
スタッフの方に、声をかけます。
「あの……すみません。BGMがかかっていない気がするんですけど、合っていますか……?」
すると、スタッフの方は一瞬キョトンとした後、ハッとされたような表情を浮かべました。
「BGM……あっ、確かに! すごい!BGM忘れてましたー!」
スタッフの方はパタパタとバックヤードへ戻り、すぐにいつものジャズが流れ始めました。僕は「あ、大丈夫そうだな」と確認し、速やかに自分の席へと戻りました。
たったこれだけのことです。文字にしてみれば、秒で終わるような些細なやり取り。でも、席に戻って作業を再開したとき、僕の心の中には不思議な達成感と、少しの疲労感、そして「やってよかった」という爽快感が広がっていました。
なぜこれが、僕にとっての「OneStep」だったのか
さて、ここからが本題です。なぜこんな小さな出来事が、僕にとって「OneStep」だったのか。そこには僕の性格に起因する、2つの心理的ハードルがありました。
1つ目は、「イレギュラーな行動をすること」への抵抗です。
僕は習慣化やルーティンを大切にする「規律性」を重んじるタイプです。いつも通りの手順で行動している時は、無意識に動けるので非常にラクですし、予測可能な環境は僕に強い安心感を与えてくれます。
しかし、「カフェで店員に声をかけに行く」という行動は、その日の計画にはなかったイレギュラーな選択です。意識的に”いつもと違う”回路を繋ぎ、行動力を発揮しなければならない。この「あえて違う選択をする」という行為は、実は脳のリソースをかなり消費するし、疲れることなんですよね。
そして2つ目、こちらの方が根深いのですが、「目立ちたくない」という性質です。
僕は、本当は目立ちたくないんです。注目されたくない。
イメージとしては、”舞台の上に上がりたくない”人間です。できることならずっと「裏方」で、誰かのサポートをしたり、仕組みを作ったりしていたい。不特定多数の視線が集まる場所、注目を浴びる状況というのは、僕にとって「安心・安全」が保障されていない、非常に緊張する空間なんです。
カフェという公共の場で、自分からアクションを起こしてスタッフに接触する。それは、周囲の客の視線を集める(かもしれない)行為であり、僕にとっては「舞台に上がる」ことに近い感覚でした。
さらにこの「注目されたくない」という感覚について、少し深掘りしてみます。
これは、「あらゆる場で目立ちたくない」というわけではないのが面白いところです。例えば、僕が所属しているコミュニティ(OneStep)のLT会(ライトニングトーク会)で発表するような時は、実はそれほど抵抗がありません。
なぜか?
それは、そこには「安心・安全」が保障されている感覚があるからです。
聴いてくれるのは安心できる仲間であり、「味方」しかいない空間だと確信できている。だから「目立つ」ことが怖くないんです。
一方で、不特定多数がいるカフェのフロアは違います。誰が見ているかわからない、どう思われるかわからない。そんなアウェイな環境で自ら動くことは、僕にとって非常に高い心理的ハードルを超えることだったのです。
コンフォートゾーンをわずかに踏み出す勇気
「無音のカフェでBGMのことを伝えに行く」。
客観的に見れば「ただの親切」や「おせっかい」に見えるかもしれません。でも、僕にとっては「コンフォートゾーン(安心できる快適な範囲)」を抜け出し、「ストレッチゾーン(少しの負荷がかかる成長の範囲)」へと踏み出す挑戦でした。
「これまでの自分なら、きっとしなかったであろうこと」を、勇気を持ってやってみる。この積み重ねこそが、自分という人間の境界線を少しずつ広げていくのだと感じています。
もし、今の僕が「目立ちたくないから黙っておこう」という惰性に流されていたとしたら、その日の作業効率も、お店に対する愛着も、少しだけ目減りしていたかもしれません。でも、自分から声をかけたことで、カフェにいつもの居心地の良いジャズが戻り、店員さんの笑顔も見られ、僕自身のセルフイメージも「やる時はやれる自分」へとアップデートされました。
人生を変えるような大きな一歩も、元を辿ればこうした日々の「小さな違和感に対するアクション」の延長線上にあるのではないでしょうか。
そんな、自分なりの「OneStep」をこれからも大切にしていきたいと思っています。
それでは。
チャイフ
